やっぱり国外、是非とも国外だ

 「私の最大の責務は歴史的な政権交代の原点に立ち返って、国民の信頼を回復することだ」と菅直人新首相は11日の所信表明演説で語った。
 原点とは、鳩山前首相の辞任の引き金となった米軍普天間基地の移設問題における「できれば国外、最低でも県外」の方針が貫けなかったことをどう総括するかも忘れてはならない。
 政治家の発する言葉の重みが問われた首相交代劇であった。「鳩山さんは一生懸命に考えていた」などとする側近たちの証言がメディアなどに取り上げられている。だが、何をどう具体的に努力してきたのかが示されなくてはならない。そして、戦前・戦中そして戦後の長きにわたって沖縄を「捨て石」のように扱ってきた日本が今後も沖縄を「空母」のごとく位置づけることが許されるのかがまさに問われている。
 「国外」が本当に非現実的なのか。米軍自身が部隊の削減・再編を進めている中で、フィリピンからは実戦部隊が撤退し、韓国の駐留部隊も減らしている。米領北マリアナ諸島テニアンでは議会が海兵隊移転受け入れを決議し、市長自身が歓迎の意向をわざわざ来日して表明している。
 「県外」はどうか。沖縄では、米兵の引き起こす事件・犯罪は年間300件にも上っている。スムースな容疑者の身柄引き渡しができない不平等な日米地位協定をそのままにして、一体どこの自治体が自ら進んで基地受け入れに手をあげようか。まして騒音公害や訓練の危険性も含めてのことにある。住宅街の真ん中、小学校の隣にある普天間だから返還が14年前に日米間で合意されたのである。その後放置し続けてきた政治そのものが、年間2千億円近い「思いやり予算」という名の血税を投じて米軍基地にとどまってもらい、その大半を沖縄に押し付けてきたことそのものが問われているのだ。
 「沖縄の負担軽減に尽力する覚悟です」と所信表明で述べた菅首相の政治信条は「最小不幸社会の実現」だ。これは、沖縄の基地問題でもその道筋をはっきりとつけていくことを求めたい。
                               6月16日
 

  「コンクリートから人づくり」への視点

 鳩山政権のキャッチフレーズ「コンクリートから人づくりへの転換」がある。初の編成となった22年度予算でも。税収が9兆円減る中で社会保障は9.8%増、教育関連支出は8.1%増、一方で公共事業は18%減となり、子ども手当ての創設や高校教育の無償化などが打ち出された。公共事業のカットは不況にあえぐ建設業からの新たな失業者を生み出し、政府は離職した人の介護分野への転職を奨励するという。
 確かに、介護施設はどこも人員不足に苦しんでいる。だからといって右から左へ仕事を移ってもすぐに勤まるという簡単な仕事ではないはずだ。人手が足りない要因は、全産業平均よりも13万円低い収入に抑えられてきたことにある。
 処遇の小手先の改善だけで、職からあぶれた人たちをあてがえば良いという発想はいただけない。介護需要のさらなる増大への対応と、きつい仕事だから介護ロボットのさらなる開発を促進するということも国会で議論されていたが、これも本末転倒である。機械で吊り上げられる老後を考えると夢も希望もない。
 介護はしょせん下の世話、行き場のない人たちがやる仕事だというような風潮を国が助長させていることに怒りをおぼえる。
 医療が専門的知識と高度な技術によって一時の生命を救うように、介護も豊富な知識・技術と心によって老いを見守る尊い仕事であるはずだ。一人ひとりの病状・治療が違うように、一人ひとりの老い方にも背負ってきた人生にも違いがある。当然様ざまな介護であるはずだ。
 人間が好きで、役に立ちたい、だから福祉の仕事がしたいという人たちの思いが生かされてこそ、人間の尊厳が尊重される社会を築いていく第一歩になるのではないか。
 「コンクリートから人づくり」のために忘れてはならない視点だ。
                                3月1日
   
 
            今年も議会改革に邁進

 明けましておめでとうございます。
 選挙による政権交代がようやく実現した昨年であったが、美酒にいつまでも酔いしれているのではなく、今年は政治の仕組みと中身が着実に変わったと実感できるような成果を示していかなければならない。勿論、渋谷区という基礎自治体という立場から見れば税源・財源を地域主権の時代に見合った形にしっかりと変えていくための主張を国に対して行っていくのも当然のことである。これは政権与党となろうとも立場は変わらない。区政においても、景気悪化から税収減が懸念されるなか、区民生活が後回しにされることのないように、無駄を省き、サービス向上を徹底して求めていくスタンスで臨んでいきたい。
 想えば、25歳の時に生まれ育った渋谷の地で政治活動を開始して20年という節目を迎えることになった。今でこそ20代の議員は珍しくもなくなったが、当時(平成3年区議選)の立候補者で20代は私を含めて3人だった。バブル、地価暴騰で若年層の人口流出が続くなか、「住み続けられる渋谷区を」と訴えた。リサイクルや国際化担当の専管組織の設置を最初の代表質問で訴え、それが実現したことに確かな手応えを感じたものだ。
 民主党の結党に加わってからも私の一貫した主張は「議会が変われば区政は動く」ということ。「やらない」「考えていない」と区側が言ってきた政策も、粘り強い調査と論拠を重ねていくなかで実現することも可能になるということだ。住民記録窓口の日曜開庁(月2回)、平日の時間延長(水曜日)、昼間人口を考慮した防災備蓄体制の準備などの課題も、区民の想いをストレートに受け止められる区政への改革をと訴え続けてきたからこそ成し得たものであった。本会議場での車椅子傍聴スペースの設置や手話通訳の導入も、「議会こそがまず変わるべき」という思いから提案したものであった。
 議会改革の実現には、まだまだ厚い壁が立ちはだかっている。与党だから何でも賛成、野党だから審議に入る前から反対ーーーこうした風潮が区議会には未だ支配的だ。良いものにはアクセルを踏みスピードを加速させる。おかしなものには断固としてブレーキを踏んでストップさせる。方向が間違っていたらハンドルの向きを変えさせるーーー議論を避け、本来あるべきこうした姿からはかけ離れている現状を変えたい。今年も思いを新たに先頭に立つ決意だ。
                          2010年1月1日



      奢れる者は久しからず 

 民主党が大勝した衆議院選挙、長らく続いた自民党支配についに幕が下りた。
 NHK調査では、投票先を決める際に有権者が重視した要素として「政権交代」「マニフェスト」を挙げた人が7割近くを占めたという。
 「国民がマニフェストを読み比べて民主党を選んだなどという神話を信じてはならない」(北海道大教授山口二郎氏)との見方にあるように、目玉の子ども手当てや高速道路の無料化にも世論調査では「反対」が多数であった。
 将来の財政負担や米国とのFTA促進(日本の工業製品と引き換えになるものは米国の米・牛肉・乳製品)などバラマキともバラ色でもない大きな痛みを伴うであろう政策まで評価を得たということになるのだろうか。
 かっての自民党には、幅の広さと柔軟性そして懐の深さがあり、それが強さでもあった。なのに小泉構造改革以後の冷たい政治の台頭と数の上にあぐらをかいて国民の暮らし向きを顧みずに切り捨てていく政治に、不安や不満を通り越した拒絶反応が「自民党よいいかげんにしろ」という意思表示となったのであろう。
 つまり「民主党が勝ったのではなく、自民党という原子力発電所がソルトダウンしてしまった(佐藤優9/8毎日新聞)」のである。 民主党の訴えの柱に「脱官僚(支配)(依存)」というものがある。無責任な丸投げの政治をやめさせるというのが本意であったはずだが、これを曲解して役人叩きをやってさえいればよいというような主張をする候補者もいた。殻に閉じこもり、時として国民の思いとは無関係に自らの論理ばかりで物事を進めようとする役人たちに、国民の生活実態や地域の実態を政策としてぶつけてそれを法や条例として制度化していく、その過程で役人たちに気づかせていくのが政党や政治家の役割であることを忘れてはならない。
 野党から与党へ、持ち得た権力を何のために、誰のために使うのか増大した責任の重みを自覚しなければならない。
                                  9月8日
  
              国民共通のマニフェスト

 64回目の8月15日、終戦記念日をむかえた。長い年月が経ち、戦争体験を持つ人が少なくなり、「いつまでの過去のことを引きずって」という風潮も強くなっているが、今なお心と身体の後遺症と闘い、家族を友を奪われた悲しみを背負って生きている人々もいる。
 「過去に眼を閉ざす者は、未来に対してもやはり盲目となる」(ヴァイツゼッカー元独大統領)と言うように、歴史は消してはならないのだ。
 8月9日の原爆忌において長崎市長は、米国や北朝鮮など全ての核保有国と核開発国首脳に対して「被爆地に来てください」と訴えた。
 NHKの特番で被爆者の手紙を紹介する番組に出演した作家の井上ひさし氏は、広島・長崎について「この世界で最高の地獄であり、その地獄から放たれる未来の希望。想像を絶する不幸の中で“生きて申し訳ない”と言える人間の優しさが光りとなり未来を生きる手がかりとなる」と語っている。
 元毎日新聞記者の関千枝子さんがまとめた「広島県第二県女2年西組‐原爆で死んだ級友たち」(ちくま文庫)は、8月6日下痢のため勤労動員を欠席して死を免れた関さんが、全滅した級友の遺族を訪ね歩いてクラス全員の姿を確かめていった記録だが、「身体の具合が悪いのを押し切り、無理やり行って被爆した級友も大勢いる。作業がお国のためと信じて・・・。運がいい子だと言われても素直に喜べないのだ。では、死んだ者は運が悪かったのか。20万人もの人が・・・。そして私の運の良さは、グリム童話にある死神を出し抜いて病人をあべこべに寝させた欲張りな医者の話を連想する後ろめたさなのである。この思いを原爆の生き残りは“すまない”という言葉で表現する。自分が原爆を落としたわけでもないのに、何故こんな思いを・・・と割り切れぬ憤懣を抱きながら、やはり『すまない』という」と綴っている。 
 生きることが“申し訳ない”という思いにさせてしまうのが戦争という罪なのだろうか。総選挙を前にして、非核三原則の扱いや戦没者追悼施設のあり方をめぐる議論も起きてきたが、戦争が起き、核があることをただ「現実」として受け入れるだけではなく、どうやって戦争を「止め」、核を「なくす」のかも国民共通のマニフェストとして練り上げたいものだ。
                                8月15日




         説明責任

 いよいよ来週火曜日からは衆議院選挙がスタートする。国民の生活を守り、将来に責任を果たせる政治を実現するために、民主党議員は団結する責務がある。そんな中、信じがたい事態が渋谷区議会で発生した。一昨年の統一地方選挙に民主党公認で初当選した岩崎保夫・岡田麻理両議員が会派・渋谷区議会民主党を離脱した。
 当人達からは6月30日の会派総会の席上突然意思表示があったものだが、今まで政策面や会派運営上の大きな対立はなく、当日も議会改革に関する民主党としての提案内容の協議に参加していたのだから驚きである。
 会派としてはその場で了承とはならず、幹事長預かりの扱いとして改めて協議することにしていたが、7月2日には松岡議長(自民)宛てに直接提出を強行した。その後は「議長と協議せよ」とするばかりで会派総会への出席を一切拒否。これは明白なルール破りである。
 所属会派を変えるには、幹事長から「所属議員異動届」の提出が必要である。会派間の協議で決定した議会役職・所属委員会・審議会などの人事や議場の議席位置などの調整も必要である。ちなみに一人は特別委員会の副委員長に5月末に選任されたばかりであった。受け取った議長も当初は「預かっただけ」としながら、協議が整わない段階で7月17日付での受理を強行した。
 民主党としては、選挙における公認時に「当選後は同一会派に所属する」ことを条件とした誓約書を取り交わしている。
 渋谷区議会における民主党会派を抜けるのに、民主党籍はそのまま、新しい会派名も「民主党」を名乗るのは認められないというのが私たちの主張であった。他会派を巻き込み、議会全体を長期間混乱させるのは本意ではなく、会派名を変更(「区民の会民主=略称・区民の会」)させての決着となったが、当人たちからは納得のいく説明はついに行われなかった。
 今回の騒動には一部他党議員の関与も取り沙汰される。民主党を分裂させて喜ぶのは誰か。そのことが認識されねばならない。そして選挙で支持を受けて議席を得ている政治家には発した言葉やとった政治的行動の全てに説明責任がともなうということだ。
                               8月11日
 
   変えるべきは仕組みとプロセス

 「政権選択」が問われる総選挙に向けて、各党のマニフェストも出揃った。
 街中のいたるところで多くの人たちから「期待してるよ」「頑張って」といった期待の声を多くいただく。それだけ今の政治に幻滅し、苦しめられている人たちが多くいるということであろう。民主党そして民主党の看板を背負っている議員たちはその声と人々の思いに応えなければならない。
 悲願である政権交代は、それ自身が目的なのではなく、あくまでもより良い政策の実現と国民生活を守るための手段であるはずだ。早くも政権を獲得した気になってはしゃいでいるかのように見える議員もいるが、自民党政治という巨大な壁をいかにして突き崩していくのか、むしろ問われているのはこれからの戦いである。
 インド洋における給油の継続をめぐるふらつきは「野党だったら反対、政権をとったら容認という態度は信用できようか。現実路線などと言いくるめないで欲しい」との批判があるように、何を変えるのかを明確にすることが求められている。
 マニフェストに関しては、「地域主権」の具体化で求められるのは、権限・財源の自治体への委譲をどう保証していくかということだ。自治体議員の考えを充分に聞いて作成したものではないだけに斬り込み不足の感も否めない。目玉の子ども手当て・年額31万2千円の創設も、初年度の半額実施で必要な財源が2兆7千億円、23年度から全額実施で5兆5千億円かかる。その全額を「バラマキ」と批判される現金給付よりも、いっそ地方自治体に全額配分して、国に先駆けて取り組んでいる子ども医療費の無料化の全国化、奨学金の大幅拡充、保育園の待機児童解消など自治体の行政サービスのレベルアップに委ねてはどうだろうか。
 「脱官僚」「官邸主導」をキーワードとする民主党政権は、政策決定の仕組み自体も大胆に刷新しなければならない。その前提が地域主権の徹底であることは言うまでもない。
                                 8月3日

        嗚呼。。振り込まないサギ???
       −定額給付金騒動ー

 「20年度中の給付開始」が言われていながら遅れていた定額給付金の第1回支給が13日にようやく実施された。事前にハガキで振り込み予定が通知されたが、ここで大きなミスが発生した。
 第1回の支給対象とされたのは、振込指定口座を銀行とした世帯5166件、ゆうちょ銀行とした世帯751件。ところが21日振込予定のゆうちょ銀行分の人にも、ハガキで振り込み予定日5月13日と通知してしまった。昨秋から実施が決定されてから待ち遠しかったはずで、通知をもらった区民が確認に行くと振り込まれていなかった。区への問い合わせてようやく間違いに気づいたという。
 751件には翌14日になって訂正文を速達で出したが、どういう経緯で間違いが発生したのかが全く書かれておらず、対象となった区民は「まさか詐欺では」と気味が悪くなったという。
 区の担当者の説明では、定額給付金支給事務を受託した業者による入力ミスが原因であるという。それならそうと訂正通知にも説明すべきではなかったのか。誠に不親切な説明だ。
 「二度とこのようなことを繰り返さないよう万全の注意を払ってまいります」訂正通知にはこう書かれていたが、二度目のミスも起きた。
 第二回支給日は、22日に銀行分4万件、ゆうちょ銀行分が25日5400件。ゆうちょ分も「振込予定日は5月22日」と刷り込んでしまったことが判明した。今回は発送前ぎりぎりの段階で気が付いたという。しかし、入力、印刷、発送準備と事務作業に要した労力が水の泡と消えてしまった。
 無駄になった分への費用は、当然業者負担ということだが、カネだけの問題ではない。区の業務委託に対する信用が失墜してしまったこと、作業を民間に委託したら業者任せにして大事なチェックが果たせないというシステムが問題だということだ。区の仕事を委託すれば経費は安上がりになる。その分サービスの質が落ちても良いということにはならないはずだ。行政の仕事は、「安かろう 悪かろう」では済まされない。何故なら、区民が負担した税によって営まれているからだ。
                               5月19日

      
                 アメリカの変革

 20日就任したバラク・オバマ米新大統領は演説上手として知られる。「YES WE CAN」「CHANGE」といった決め言葉は日本でも既に有名となった。対訳CD付の「オバマ演説集」は40万部も売れているという。
 就任演説では、反米を掲げ対決する国々に「握りしめたそのこぶしを開くなら私達は手を差しのべよう」と呼びかけ、アメリカは力をもう一度示すべきだとした上で、「自らの力は慎重に使うことで増大し、自らの安全は大義の正しさ、模範を示す力、謙虚さと自制心から生まれる」と述べた。その姿勢が外交政策の変化として現実のものとなるか。
 これまでアメリカは、偉大な国家であることを強調し、正義と威信を掲げて他国の領地で戦争を繰り返してきた。パレスチナガザ地区での戦闘も、アメリカの中東政策の根本的な変化がなければ平和的な解決は到来しない。
 沖縄県糸満市でアメリカが占領中に埋設したとされる不発弾によって負傷者が出たのもほんの一週間前のことだ。
 核や食料、環境といった世界が直面する多くの課題を すでにアメリカ一国の利益追求する立場では解決できないということを認識できるのか。アメリカ自身の変革が求められている。
                                1月22日


   穏やかな日常を創り出すために

 お健やかに新年をお迎えのことと存じます。
 雇用の破壊・医師のいない病院・人手不足で利用できない介護サービス・受け取れない年金・食品偽装ーーこうした人々の生活不安が解消されない中で、定額給付金や23兆円規模の景気対策は全く意味をなしません。
 官も民も市場原理優先主義による「効率化」を追求するあまり、支え合いも信頼もない世の中になってしまいました。いま一度、未来をパーツではなく全体を捉え直すことが急務です。
 政治には本来、命の誕生から終末までを通して穏やかな日々を過ごすことができる空間をつくる大きな責任があるはずです。
 そのために、議会が本質的な議論が行えるように自己改革を進め、生活の砦としての機能を渋谷区政に求めていくために大いに役割を果たす時です。
 今年は政治決戦の年。分権を着実に前に進め、区の創意ある取り組みをサポートする国政・都政への大転換を求めて行動します。
                              2009年1月


     オリンピックと勝ち組 負け組                 
 一つの世界一つの夢というのが北京オリンピックのテーマであった。平和の祭典と言われながらも戦争と対立、国際政治の荒波に翻弄され続けてきたのがオリンピックの歩みであった。
 「国ごとに競うという仕組み自体が国際政治をスポーツに投影している。開催国ともなれば国家と国民の姿を世界に示し、国際社会の一員として認めさせる機会にオリンピックが使われることは避けられない」(藤原帰一)との指摘にあるように、ヒトラーが1936年ベルリン大会を威信誇示に利用したのは有名であるし、ヒトラーの支持を受けて準備した1940年東京大会は、日中戦争を拡大する日本への非難が集中、不参加表明が続出し断念に追い込まれた。戦後初の1947年ロンドン大会には日本の参加は認められず、ようやく復帰した1952年のヘルシンキ大会では開会式の日本選手団の入場には観客のブーイングが集中したという。
「勝つことではなくて参加することに意義がある」オリンピック精神を象徴的に表すものとして知られるIOC終身名誉会長クーベルタン男爵の言葉であるが、1964年東京大会の開会式におけるブランデージIOC会長のスピーチの字幕には「NOT TO WIN BUT TO TAKE PART」と英訳されていたという。「勝つことではなしに、それぞれがそこで与えられた役割を果たす」という意味である。
 勝つ人がいれば負ける人もいるということだ。日本選手団主将の柔道鈴木選手は完敗し、ネット上で「死ね」などという書き込みがなされたりした。自分のものさしだけで人を裁いたり責め立てたりする権利はどこにもないはずだ。思い上がりも甚だしい。
 スポーツに感動するのは一生懸命プレイする姿そのものではないだろうか。同じことは社会や経済にもいえる。世の中の人全てが勝ち組になることはあり得ないのであって、強い人の役割、弱い人の役割がどう認識されるかが大切であると思う。他者がいなければ自分もない−−殺伐とする社会状況だからこそ先人の智恵の結晶である「おかげさまで」という言葉を、いま一度一人ひとりかみしめたい。
                                8月27日

       食はいのち(特別編)
         −渋谷の食の安全をめぐって−
 中国製冷凍ギョウザ事件は、中国国内で毒物が混入されたことを中国側が認めたが、日本政府が公表を控えていたことが明らかになった。「消費者重視」を謳う福田改造内閣のそれが早くも看板倒れであることがあらわとなった。
 毎日口にする食べ物に関わる事件・事故については、真相究明に徹底した情報開示が欠かせない。新農水大臣は「消費者がやかましいから」とNHKの番組で発言したが、消費者が食の安全にやかましくなるのは当然ではないか。
 食の安全については、渋谷区政をめぐる問題について、インターネット上のサイトで度々取り上げられている。私の名前を挙げての批判もある。中には事実誤認のものもあるのでこの機会に私が取り組んできたことを報告したい。
8月2日(土)桑原区長も参加していた東京渋谷の夏祭りで「異臭騒ぎ」との記事が掲載される。
7月25日、26日に地元幡ヶ谷の商店街で「六号まつり」が開催されたが、26日夕屋台の焼きそばを購入した女性が「異臭がする」と指摘。保健所に届け出たというもの。この屋台は保健所への許可を受けておらずそれを区が黙認。区長と議長、芦沢も出席していた。商店街関係者は、「芦沢議員は奥さんもお祭りを手伝っていた。屋台の実態を知っていたのか」とある。
 私がこの記事を見たのは8月4日。それまでこうしたことが起こっていたことも知らなかった。この六号まつりに出席したのは25日、妻が手伝いをしていたのも25日のみでくじ引きのコーナーであった。
 どういう意図でこうした記事が出されたのかは不可解ではあるが、直ちに事実関係の調査を開始した。保健所生活衛生課長、区民部商工観光課長、子ども家庭部子ども青少年対策課長らに区が助成している地域行事の届出状況を確認。それによるとこの六号まつりをはじめとして保健所への届出をしていない行事もあるということが明らかになった。ただ、区が地域イベントに際して適用しているのは「渋谷区行事における臨時営業等の取扱要綱」というもので、ここには「第8条 区民まつり、商店街祭など地方公共団体や地域の住民団体が関与する公共的目的を有する行事に出店する者で、次に掲げる要件を満たすものについては、営業の許可対象とせず地域保健法第6条の規定に基づき当該行為に起因する食品衛生上の危害の発生を防止するための啓発及び指導を 次項以下に掲げるとおりに行うものとする」
(1)食品の調理・製造・加工販売等を行う。(2)出店期間が年に1回かつその日数が短期間である。
つまり、保健所サイドの見解では、地域イベントに関しても届出をお願いしているが、義務ではないとの立場だということだ。
ただ、食品衛生上の危害が発生した場合に迅速な対応をする体制になっていない現状を放置しておいてよいというものではないはずで、地域イベントの実施状況をつぶさに把握し、指導の徹底を各セクションと連携して図るよう求めた。
8月5日には区長と面会。事件・事故の発生防止と衛生管理の徹底をはかるよう申し入れ、区長も改善を約束した。その後予定されている特養、保育園の夏祭りの案内状には保健所からの指導もあり安全には要綱に基づき万全を期していることが記載されている。
8月8日(金)東京渋谷区小学校の「放課後クラブ」で賞味期限切れの乳酸飲料との記事が掲載される。
区立西原小の放課後クラブで子どもたちに提供している乳酸飲料で6月下旬賞味期限切れのものがあったというもの。
 これについても直ちに教育委員会生涯学習課の放課後クラブ担当課長に調査を求めた。教育委員会が委託業者(パソナフォスタ)を調査したところによれば、5、6、7月の3ヶ月間のおやつの全品目と提供児童の記録を点検したところ、乳酸飲料を出したことはなく、おやつの購入時、保管時、提供時の3回賞味期限を確認しているとのことだ。「賞味期限切れ」に関する保護者からのクレームは放課後クラブ、学校、教育委員会にはなかったという。生涯学習課はこの調査内容を文書にして児童を通じで各家庭に配布した。
8月11日(月)池山教育長と面会。放課後クラブのおやつの安全管理に万全を期すよう申し入れ。渋谷区の放課後クラブは全区立20校で開設しており、5つの事業者に委託されている。おやつの管理について、品目や配布対象の記録書式を統一することを検討していることが明らかとなる。保護者会を開催し、直接説明することを要請した。教育長も実施すると約束。 
 食の安全、中でも子どもたちが参加するイベントや事業に関しては何よりも安全が優先されなくてはならない。同時に事件・事故を防ぐ危機管理の側面からも行政の対応はスピードと正確さ、公開性が担保されなければならない。
 インターネットを媒介にした政治・行政への批判が行われること自体は何らかまわないと考えるが、西原小放課後クラブの一件は事実であるなら看過できない。教育委員会や学校あるいは議員に対してでもいい、是非とも直接声を寄せて欲しい。子どもたちにより良い生活環境を用意するのが大人たちの務めであるからだ。
                              8月13日

        エコって何?
 真夏日・熱帯夜が続き、体調不良を訴える人が私の周りにも多い。海ではクラゲが異常発生、宍道湖の蜆は発育が悪いなど、温暖化の影響が生態系にも現れている。
 こうした中で流行っているのがエコ。マイ箸やマイバックなどを推奨するエコタレントもTVに続々出現しているが、CMでは大量消費を煽る活動を行っていて、実生活では冷房のガンガン効いた超高級マンションに住み、プライベートではCO2を撒き散らし放題の高級車を乗り回しているのではないかとついつい疑ってしまう。
 「偽善エコロジー」というある工学博士の新著も話題となっているそうだが、行政や企業の温暖化防止キャンペーンは本質がずれていないだろうか。区役所の庁舎エレベータも夏の間は1台運転を中止しているが、区から出るごみの削減やリサイクル、公共工事の環境負荷や自然エネルギーの導入にこそ力を注ぐべきではないか。
 閣僚や多くの議員のクールビズも嘘っぽい。スーツのズポン、白いワイシャツにネクタイが一番安上がりだ。政府は夏休み中の家庭の電力消費にまで口をはさみエアコンの温度にまで云々・・・。電力消費量総体を考えれば、切り込むべきは圧倒的シェアの産業活動である。
 車は最近新車が売れにくくなっているようだが、TV、DVD、ビデオ、携帯電話等々不具合が生じて修理を依頼すると「この製品はメーカーが製造を中止したので部品を取り寄せるよりも買い換えたほうが安いですよ」と言われることが何度あるだろうか。ムダを生産し、浪費することが「効率的」だと言われる社会、小手先の「エコ」がもてはやされる社会は間違っている。
                               8月3日  

        自治体と海外
 福田首相は一足早い夏休みを取り、内閣改造や衆院解散の時期についてじっくり策を練ったという。夏休みといえば今年もこの時期に国会議員の外遊が集中しているとか。閣僚や国会議員の外国訪問はほとんど批判されることはないが、自治体議員が公費で海外へいくとなると、世論やメディアなどからは集中砲火を浴びる対象となりがちだ。
 渋谷区では9月に区長ら区幹部4人、議長ら区議会議員8人がトルコ、フィンランドを訪問する。共産党の議会報告には「ムダづかい」、某サイトでは「大名旅行」と批判記事が掲載され、私も区民の方から「何故民主党は参加するのか」と抗議の電話をいただいた。
 民主党はこの訪問団に新人女性議員2名を参加させることにしたのだが、当初の計画にあった「海外視察」を「海外都市交流」に改め、性格が明確になったこと、訪問先が3カ国(当初はスウェーデンも含まれていた)から2カ国に縮小されたことで概算で200万円の支出削減がされる見通しとなったこと、会派幹事長や委員長ではなく会派推薦による派遣議員の選定が確認されことなど、民主党の主張が採り入れられたことで賛成を決めたものである。当初予算の内容について区長が議会運営委員会で計画の変更を明言することは渋谷区では極めて異例のことである。
 外交は国家の専売特許であろうか。私はそうは思わない。都市と都市、人と人との交流は平和創出に向けて欠かせないものだと思う。私は渋谷区が友好都市協定を結んだトルコ共和国イスタンブール市ウスキュダル区との交流に、2004年9月の調査団、2005年9月の調印式の2回参加した。イスラム圏といえば過激派の聖戦や自爆テロのイメージが強く心配する向きもあったが、イスラム教モスク、キリスト教会、ユダヤ教シナゴーグが隣り合わせに並んでいるのを目の当たりにすると歴史と宗教の奥深さを感じた。手で触り放題の遺跡群を訪れたときには、渋谷の子どもたちや社会科の教員に体験させることができたらどんなにすばらしいことだろうと思ったものだ。実際、協定締結後の区民交流は、議員だけが何度も訪れるのではなく、教育・青少年・防災・文化・芸術の分野などで活動する各界各層を区民代表として派遣することを提案してきた。
 こんなエピソードがある。最初の訪問の際、イスタンブール空港に到着後、ウスキュダル区議会議長からこんな話を聞かされて腰を抜かしそうになったことがある。「愛知地方を震源とする大規模な地震があり東京に50メートルの津波がきたらしい。お見舞い申し上げます」。トルコは地震国で日本の地震のニュースもすぐ伝わるのだが、インターネットや携帯電話が普及した現在でもこうした情報の伝わり方があるということだ。それだけに直接話しあうことの重要さが増しているということだ。
 議長在任中の2005年8月には、特別区議長会の代表として中国を訪問した。折りしも歴史教科書問題や小泉首相の靖国参拝により日中関係は悪化、友好都市でありながら東京都がタカ派知事の意向で北京市との交流を凍結した直後の訪問であった。直接訪れても表面的な交流や非難の応酬だけは意味がない。そこで考えたのが、小中学生が使っている教科書の交換を西城区の図書館と行った。また、私が提案し直接交渉もして実現したのが、対日政党間交流のトップ劉洪才中国共産党対外連絡部副部長との会見であった。劉氏からは靖国問題で「中国人民は戦争で亡くなられた方のご家族や戦友が靖国神社へ行くことまでも反対しているわけではありません。ただ日本という国を代表する立場にある人だけがあの戦争を美化するような言動を繰り返すのが許せないのです」との発言を引きだした。この発言は機会があるごとに地元の遺族会の人たちや中国の「反日」政策を批判する人に出会うたびに、私が直接聞いた言葉として紹介するよう努めている。
 平和は対話と交流から生み出されるものだと今も確信しているし、自治体だからこそできることもまだまだあるのだと思う。

                                7月22日


   電話がつながらなくても行革!?

 年金保険料や道路特定財源の目的外流用に加えて、財務省職員などのタクシー代浪費や車内接待の実態が明らかになり国民の批判を浴びている。ムダづかいや天下り、給与や退職金、官舎福利厚生など官僚と役所に対する風当たりは年々厳しいものになっている。そこで、行政のスリム化、官から民へといった風潮がつくり出されているのであるが、橋下大阪府知事のような「聖域なき改革」が世論の支持を集めているという。        ただ、ここで忘れてはならないのが公共サーヴィスの役割である。利潤追求を目的としていない分野まで「採算性」を導入したら成り立たないものが出てくる。
 渋谷区でも施設の管理業務の委託が進められているが、委託先の多くは区が全額出資する第3セクター・渋谷サービス公社で、女性センターや社会教育会館の所長に議員OBが採用される例が多くなっている。
 清掃事務所から出るごみまで「事業系ごみ」として業者に代金を払って収集させたり、区役所の代表電話も交換業務が委託され、つながりにくい状況となりこれは本会議で区長が陳謝する事態となった。私が電話してもつながるまでに25回かかる日もあったが、こんなものが行革といえるのだろうか。
 ムダづかいを排していくのは当然としても、安上がりを追求するあまりサービスの低下を招いてしまっては元も子もない。住民戸籍窓口の休日開庁が月2回、平日の時間延長が月1回実施されるようになったが、これなどは数年前に私が議会で取り上げたときは「できっこない」という反応であった。金をかけなくてもできることは多々あるのだ。行革はサービス向上に直結するものではなくてはならない。                 6月18日


        五輪と政治

 8月に中国で初めて行われる北京五輪まで100日を切り、4月2日にカザフスタンを出発した聖火リレーも中国領内に入り、今日は香港でのリレーが行われる。先週長野市内で行われたリレーも手厚い警備陣に囲まれてのもので、とても市民ぐるみで五輪成功の機運を盛り上げるには程遠い状況であった。
 「平和の祭典」を謳う五輪であるが、「チベットに自由を」「中国は一つ」の声が交錯する中、聖火は北京へ何を運ぶのだろうか。過去の五輪も、国家や民族、体制や宗教を超えた出会いと交流が繰り広げられる一方で、政治とは無関係ではいられなかった。為政者の権勢を誇示し、国威発揚の機会に利用されてきた。今回の開催国である中国だけが特別なのではない。ましてや領土や民族問題など複雑な国内事情を抱える中国である。
 私は日中友好の進展と北京五輪の成功を強く願う立場だが、同時に人権と民主主義が脅かされる事態にも無関心ではいられない。ましてや、非暴力・無抵抗の僧侶や市民たちが多数拘束するようなことは許されないことである。チベット自治に関する問題は双方が対話による解決を目指すべきである。
 来週には中国の国家元首としては10年ぶりに胡錦濤主席が来日する。福田首相は何を語るのであろうか。多くの国内問題と同様に他人事で済ませたり、お得意の先送りでは世界に通用しない。
                                5月2日



      映画「靖国」問題に想う
 −私はあなたの書いたものは嫌いだが、
    私の命を与えてもあなたが書き続けられるようにしたい−                             (ヴォルテール)

 今月12日から封切りが予定されていたドキュメンタリー映画「靖国」について東京・大阪の映画館5館が相次いで上映中止を決めた。
 この作品は、日本在住の中国人監督が10年にわたって見つめた靖国神社境内の現実を映し出したもので、李纓監督によれば「イデオロギー的見方を打ち消すためにナレーションを一切排除する手法で仕上げた」という。この映画を「週刊新潮」が「反日映画」として報じ、自民党衆議院議員が文科省所管の独立行政法人から750万円の助成金を受けていたことを問題視し、上映を予定していた映画館周辺で右翼の街宣活動が行われたことから中止の動きが広がったものだ。
 民主主義社会は、言論・表現の自由が保障されてこそ成り立つ。それは、多様な意見の表明が認められねばならないということだ。映画館の上映中止の理由は「右翼団体の街宣車によって近隣施設に迷惑がかかる」というものだが、これは日教組の教研集会の会場予約を取り消したプリンスホテルの説明と同じものだ。これは、表現の自由の制約から、やがては表現すること自体の自粛につながる恐ろしいものだ。
 新聞各紙も社説などで今回の事態を懸念しているが、いっそ新聞社系のホールを一斉に提供してこの作品を公開してはどうだろうか。
 作家の保坂正康氏は、「言論の自由は新聞記者や作家が書く自由のみでなく新聞を運ぶ運転手さんや本を販売する書店員さんを含めて社会全体に自由が確立されていなければならない」と述べているが、反対意見に対する寛容さが薄れているのが今の日本社会だ。この映画を見たい人は声を上げよう。
                                 4月8日


    
       道路財源をめぐって

 予算議会が終わった。年度末の最終本会議では、国会混迷の余波を受けて、いわゆる日切れ法案(区税条例改正)が提案できない異例の事態となった。
 いまだ与野党合意が成立しない道路特定財源は、暫定税率の期限切れで値下げに踏み切るガソリンスタンドも相次いでいる。
今回の問題は、「地方のことは地方で決める」という分権改革の理念をどう進めるのかが問われているのだ。権限・財源を地方に回せと主張するのが首長の役割の筈だが、国の圧力を受けて特定財源の存続・暫定税率の維持を主張した首長がほとんどであった。特別区区長会もそうだ。
 議会初日の代表質問では、この点に関して区長の見解を質した。他の質問者は誰一人触れなかったが、渋谷区長がどう答えたのかを原文のまま紹介したい。
 「道路特定財源の暫定税率を盛り込みました租税特別措置法は2008年度の予算案とともに、衆議院を通過して現在参議院に送付されているとこでございます。この衆議院の審議の中で既に道路建設中期計画に基づくこの59兆円の根拠が必ずしも明確でないと言うことが浮き彫りになってきているわけでございますし、この特定財源の仕組みが利権の温床となるおそれもあるということについては既に明らかになってきていることであろうと思いますし、そのことについては参議院におきましてそのことの是正を期待しているところでもあるわけでございます」
加えて税収が減っては困るとも述べているが、新聞社のアンケートに渋谷区は「暫定税率が切れても特定の事業への影響はない」と答えている。
そうであるならば、改革を求める立場に立つべきである。
                                4月2日


        
        食はいのち(2)

 農薬中毒事件で問題となった中国・天洋食品で作られた商品が「冷凍手づくりギョウザ」という名前なのは笑えぬ話だが、事件の余波でスーパーではギョウザの材料の売り上げが急増している。安全、安心できる食材を求めるなら、皮の原材料やひき肉、ニラ、キャベツ、にんにくなどの原産地や農薬使用の有無などにも関心を広げたいものだ。行政や業者にはその情報を開示する責務があるし、消費者自身にもそれを求めていく責任がある。混入事件の真相はいまだ解明されず、週刊誌などでは日中友好に反対する勢力の関与や食品業界再編の動きを妨害しようとする「テロ」を疑う記事も出始めている。
 有機農産物のシェアは、全体の0.5%と言われている。「手に入りにくい」とか「高い」のが理由と思われているが、そうさせられている実態には目を向けられていない。産直で一個250円のかぼちゃが青山の大手スーパーでは全く同じものであるにもかかわらず1500円で売られていたことがあった。
 食べ物に関する問題は、「仕方がない」で済ませられるものではない。安さと安全性も、両立し得ない話ではないはずだ。便利さを求めて開発された科学による人間への逆襲と言える。生協や学校給食、外食産業、そして家庭。中国産や天洋食品だけを排除すればよいのではなく、いのちと健康、自然と生活をどう結びつけて考えるべきかという問題ではないか。
                                 2月13日



        食はいのち(1)

 中国製冷凍ギョーザに混入していた有機リン系殺虫剤メタミドホスによる健康被害が拡大している。業者による商品の回収は当然のことだが、「すべての中国製食品の輸入禁止を」などといった極端な声まで噴出する騒ぎとなっている。
 日本の自給率は既に40%をきる有様。中国産をいれなくしたところで、アメリカ産やタイ産などは完璧に安全なのか。スーパーの鮮魚売り場には『アフリカ産たこ』などという商品が並んでいる。ちなみに「アフリカ」という名の国はない。
 原産地表示の厳格化も含めて、どこで作られ、どういう経路で私たち消費者の手に渡ったのかが、正確に開示される仕組みがまず必要だ。輸入食品、冷凍食品等加工食品にここまで依存するようになった農業・食料政策の見直しも急務だ。
 驚いたのは体の異常を訴える事例が昨年から出ていたにもかかわらず公表までに1ヶ月もかかったということ。検査を依頼された保健所がそれを断ったり、都から各区への指示がFAXで行われ、それも肝心な部分の送信漏れがあったこと。厚生労働省への食中毒の報告義務が50件以上発生しなければないということ。食と命は直結しているにもかかわらず、行政の仕組みはそうなっていないということが白日のもとにさらされたのである。
 センター方式と呼ばれる共同調理スタイルを導入している13府県では、学校給食にも問題の冷凍食品を日常的に使用していたことが明らかになった。「効率化」「安上がり」の論理は食育の重要性と両立するとはとても思えない。
                                 2月3日

        ガソリンと道路

 国会論戦がスタートした。「ガソリン国会」なる呼称もつけられているが、税の取り方や配分にかかわる議論をきちんと進めてもらいたいものだ。暫定税率の延長をめぐる攻防が最大の焦点であるが、道路特定財源は1954年(昭和29年)にインフラ整備の税源確保のため、暫定税率による上乗せは1974年(昭和49年)オイルショックの際にガソリン消費量の抑制のために導入されたもので、「暫定」というものをいつまでも根本的な議論なしに延長するというのはやはりおかしい。民主党の暫定税率撤廃方針には、自治体からの「地方に道路は作れなくなる」との心配の声も寄せられている。わが渋谷区も、試算では3億円の減収になると見込まれている。しかし、今後10年で全国で59兆円もの道路整備が果たして本当に必要なのか。税の配分、政策の優先順位を決めるのが政治である。道路建設は国の事業であっても自治体の地元負担が強いられるものも多い。この点が忘れられた議論が先行している。分権時代には、必要な道路は自治体が住民とともに、独自の判断と責任によって作っていく仕組みに変えていくべきだ。
                           1月28日




       成人式に寄せて

 きょうは成人の日。渋谷区内で成人式を迎えた(昭和62年4月2日〜昭和63年4月1日の出生者)のは1608人。私が大人の仲間入りをした昭和60年の5336人の約3割である。渋谷区も少子化が著しく進み、ある新年会で同席した母校・代々木中学同窓会役員の話では、、20年度の新1年生は50人を下回る可能性があるという。これも私の時には400人近くいたから、いろんな要因はあるにせよ、時代の移り変わりというものは激しい。
 いまの社会は、若者たちにとって、決して生きやすい社会ではない。モノや情報があふれる一方で、心が満たされることは少ない。世の不正や不条理に怒る若者はいなくなったが、「キレる」若者は増えた。格差社会と言われるなかで、「努力すれば報われる」ということが実感できにくい時代であるが、何かをすぐに投げ出してしまう、すぐにあきらめてしまう若者が増えているようにも思う。こうした傾向を、すぐに「戦後教育の弊害」や「道徳教育の軽視」のせいにする論調がはびこっているが、私はそうは思わない。インターネット、携帯メールが特に若者たちの情報伝達のツールとして主流を占めるようになって、肉声によるやりとりが少なくなってしまったことの方が、むしろ要因としては大きいのではないだろうか。
 どんな時代にも、人間が生きる社会では他者との関わりを抜きにした生活は考えられないのだから、せっかく持って生まれた五感を使っての人間的なコミュニケーションをもっと大切にしよう。
 思想家・梅原 猛氏は、本来の意味での新しい道徳の尊重を呼びかけているが、そのなかで「モノを盗んではいけない」「ウソをついてはいけない」「他人を傷つけてはいけない」の三点を尊重することを提唱している(梅原 猛の授業、道徳 朝日新聞社)。
 若い世代に限った話ではないだろうが、若い世代から三点の当たり前の規範を広げていくことを通して、この日本を変えていければと思う。
                          1月14日



    政策論議をリードできる議会へ

 お健やかに新年をお迎えのことと存じます。
 年金問題での公約違反を問われても「大げさな話ではない」と他人事のように開き直り、薬害C型肝炎被害者の命懸けの叫びに自らの支持率が急落して初めて重い腰を上げる首相の下で、我が国の政治の無責任体質は目に余るものがあります。
 政権選択が問われる本年、民主党はこうした政治のあり方そのものを正し、一人ひとりの幸せと未来に責任を果たす政党として歩まなければなりません。
 渋谷区政では、本町地区への小中一貫校の開設など、総額400億円を超える施設整備計画が区長から示され、議会審議を経ることなく既成事実のように進められようとしています。
 必要性や緊急度、優先順位などについてその一つひとつを検証するのは議会の責任です。税金の使途をチェックするとともに有効で公平な予算配分のあり方について政策論議をリードできる議会への改革を求めて、今年も果敢に挑んでまいります。
                            2008年1月4日





       優先されるべき政策


 薬害C型肝炎訴訟の和解をめぐる問題で、内閣支持率の急落を背景に福田首相はようやく重い腰を上げた。「行政が司法の判断を超えることはできない」とかたくなに役所の論理にこだわり、問題をここまでこじらせた厚労省とそれに引きずられた福田首相、舛添大臣の責任は極めて重い。官僚に問題を気づかせるという政治の大切な役割を置き去りにしてきたからである。
 あきらめずに生命賭けで生命の重みを守ろうとした原告たちの叫びを私たちはしっかりと受け止めたい。原因の究明と責任の所在、再発の防止を明確にした議員立法を一日も早く成し遂げたい。 
 国が認めた薬によって健康を害し、生命の危険にさらされている被害者を救うことは、けっして”バラマキ”などではない。一人一人の人間を大切にする政治こそが国民の最たる願いである。
 
                         12月25日



  「寝耳に水」の小中一貫校計画

 桑原区長が11月21日の区議会全員協議会で「渋谷の未来に向けて」と題した4ヵ年計画を打ち出した。「コミュニティの活性化」「教育の充実」「子育て環境の整備」「長寿社会を楽しむ施設・体制の整備」「旧大和田小跡地施設設備」を柱とする施設整備の計画で、建設費などの統計は405億円にのぼる。図書館、保育園の整備など我々も主張してきた内容も含まれてはいるが、驚いたのが本町小・本町東・本町中の3校を統合し(決して統合という言葉は出てこないが)、小中一貫校をつくるという計画だ。プレス発表、区ニュース、HPの掲載も行われたため、「議会でもう決まったのか」という問い合わせが多数寄せられた。議会ではこの間、小中一貫校に関する議論は全く行われていない。今回の計画は、議会としても「寝耳に水」の話である。
 子どもたちの学力低下や、いじめ、不登校の問題などを解決するため、教育改革の具体化への関心は強い。計画には「小中一貫教育校は、基礎基本の確立を目指す小学校教育と、基礎基本の確立を基に自ら考え、それぞれの個性を伸ばすことを目指す中学校教育とを一貫して行い、義務教育9年間を見通した連続性のある教育環境を実現することにより、移行期における深題解消に効果が期待できる学校である」とある。渋谷区では小中一貫教育について、こどもたちにどのような効果や問題があるかを全く研究・検討していないなかで「効果が期待できる」とするのは余りにも早計だ。
 学校は子どもたちのものであり、地域コミュニティの拠点であり、区民全体の貴重な財産でもある。今日の計画では、19年度=関係者協議、20年度=基本設計、実施設計、21年度=着工、24年度=開設予定とある。しかし、ハード面の整備を優先させたこのスケジュールは凍結し、まずは子どもたちの未来を左右しかねない小中一貫教育のメリット・デメリットの議論をしっかりと行うべきである。

                          12月10日





   戦争被害は昔のことではない

 突然の首相交代で空転していた国会論戦が再開された。与党はテロ特措法について給油活動だけに絞った新法の提出を固めたが、そもそもこの給油自体が実は問題なのだ。「テロとの戦い」を支援するためという理由付けが、実は給油した燃料のかなりの部分が、米軍のイラク空爆作戦に使用されていることが明らかになっている。これは明白な戦争支援。日本がとってはならない道である。
 戦後の平和主義は、日本が一人も戦死者を出さないという道でもあった。しかし、日本国民の血税を注ぎ込んだ油でイラクの子どもたちが危険にさらされているということだ。
 ベトちゃんドクちゃん、ベトナム戦争の枯葉剤の被害を受けたお兄さんが5日亡くなった。枯れ葉剤の害は過去のことではなくていまもベトちゃんドクちゃんのような姿で産まれてくる子どもたちは多い。戦争の惨劇は、遠い昔のことなのではなくて、未来にまで及ぶものである。ヒロシマ・ナガサキの被爆者たちも、原爆症の認定を求めて、いまも裁判まで起こして争っている人たちがいる。日本政府は、被爆者に訴えられた相手ということになる。控訴撤回が実現すれば、前首相が道筋をつけた唯一の成果ということになるのだが。
                             10月8日


      虚しく響く「義務と責任」

 臨時国会が始まり、衆院で代表質問が行われようとする矢先に、安倍首相が辞任した。
 参院選で大敗しても政権の座に居座り、内閣改造・自民党三役人事を行い、国会で所信表明まで行った直後である。
 安倍首相は「戦後レジームからの脱却」を掲げ、新憲法の制定や教育再生に力を入れ、国民投票法の成立、教育基本法の改正を実現した。「権利ばかりで義務と責任の規定が不十分だ」という理由からだった。
 国民に対して「義務と責任」をさかんに強調していた人が、自らの出処進退についてはこの始末。国政の最高責任者として決断のタイミングは最悪であり、無責任極まりない。
 テロ特措法の延長はいつの間にか「国際公約」とされ、今国会の最大の焦点とされたが、だとすれば国会の場で堂々と「延長」か「廃案」かを論ずるべきではないか。所信・政策を国民の前で闘わせる、それが政治家の基本的な義務と責任だ。
                             
                             9月13日


 
  
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